コラム

日本人が抒情的にも叙景的にも適正(適当)を得ていたのは 今のあらゆるものに支配された情報社会ではなく、この大正時代だと感じています。そこで、作曲家プロコフィエフの日本滞在記をアップしようと思います。

ロシアの音楽家 セルジュ・プロコフィエフ (1891-1953) は革命で吹き荒れるロシアを後に音楽で革命を起こそうと1918年に米国に亡命をします。許可を得たとはいい、ギリギリセーフの亡命劇だったようで
 シベリア鉄道を経由して24日後に敦賀港に到着、翌日に東京に到着しています。日本の鉄道網も整備されていたわけです。
航路は8月まで無く、日本滞在になります。
 
シベリア鉄道を経由して24日後に敦賀港に到着、翌日に東京に到着しています。日本の鉄道網も整備されていたわけです。
航路は8月まで無く、日本滞在になります。

日本滞在の日記を挙げたブログから https://blog.goo.ne.jp/sprkfv/c/ba851dcf820585748d1f10e01c8fb246/4
5月31日敦賀到着 当初の特急に乗れず、次の普通列車から乗り換え特急列車に乗り上京
6月1日~11日 東京ステーションホテル→横浜グランドホテル
6月12日~18日 京都(のホテル記載なし 都ホテル??)
  13日(★京阪電車で大阪に立ち寄る) (17日琵琶湖疎水のトンネルを通る→気に入ったみたいです)
6月19日~28日 奈良・奈良ホテル滞在※
6月29日 東京に戻る (7月19-21日軽井沢・28日箱根)
8月2日離日

ここでの大阪訪問時の記載を挙げておきます。そう、有楽町で昔ながらの床屋さんで耳掃除してもらえたことを思い出しましたね。

→ ★急行電車で大阪に行った。活気のある真に日本的な街で、ヨーロッパ人には一人も出会わなかった。ことに珍しい光景は劇場、それも舞台ではなく、客席だ。全員が箱のような枡席に座り、弁当をほおばり、ものすごい早さで扇子をあおいでいる。興味深いのは、数千もの大小の灯りと、そぞろ歩く大群衆があふれた夜の大通りだ。わが国の床屋にはマニキュア部門があるが、ここには耳掃除部門がある。じつに面白い。わが国の耳の遠い音楽家連中を、こちらに送ってはいかがなものか。

※映画「雷鳴し蜂蜜」で採用された「ピアノ協奏曲第3番」この最終楽章のロンドの部分に大阪で聴いた『 越後獅子』がモチーフとなり奈良滞在時に前身の四重奏を書き始めたのは有名な話です。